現役高校生が考える「校則」とは

2021年12月13日・教育 ・by Newsdock編集部

先日、大阪の高校に通っていた元女子高校生が、在学中に茶髪を黒く染めるよう繰り返し指導され、精神的苦痛を受けたとして起こした裁判の二審判決が出ました。この時、染色を禁じた校則や黒染め指導を適法とした一審・大阪地裁判決は支持され、生徒側の控訴は棄却されています。私はこのニュースを知った時、「校則は誰のためにあるのだろう」とふと疑問に思いました。下着の色や水分補給の制限、さらには男女交際の禁止といった、時に「ブラック」と言われてしまう学校のルールの存在について、これに最も近い現役高校生ライターの視点から考えていきたいと思います。

誰のための校則?

そもそも、校則とは誰のために存在するものなのでしょうか。

まず考えられるのが、 学校や先生のため という理由です。元々、校則が厳しくなった背景に1980年代に校内暴力の件数が増加したことがあると言われています。今ある校則が当時のような出来事を抑制しているのであれば、学校側としてもルールを強化することのメリットは多いといえるでしょう。また、統一した基準を設けることで先生達も指導しやすくなるという良さもあります。

さらに、 校則は地域や社会全体のために存在する とも考えられます なぜなら、校則があることで生徒が将来、法律や社会規範を守るうえで必要な力を身につけられるからです。ルールを守れる学生像を示すことは、地域の人々と良好な関係を保つためにも重要になってきます。

生徒のための校則、注意点は?

しかし、こうした理由に納得できる学生はどれくらいいるのでしょうか。最近でも大阪高裁で、頭髪の色の制限は生徒に学習や運動に注力させ、「非行防止」につなげるという目的などから適法であるという判決が出ましたが、理不尽な校則を強制させられている生徒にとって、いくら「学校のため」「社会のため」とは言えども、守ることに意義を感じないルールも多いと思われます。そのため、校則の存在意義を考えるうえで、それが生徒のためになっているのかを考えることを忘れてはいけません。

ただ、この時に注意しないといけないことが一つあります。それは、 いくら生徒のためを思って作った校則でも、実際は生徒を苦しめている可能性があるということです。

例えば、私が通っていた中学校では 「スカートの丈は膝が隠れる程度のもの」 という指定がありました。たぶん、この背景には服装や見た目などが原因で痴漢やストーカー、盗撮などの事件に遭う可能性を防ぐという理由があったのだと思います。確かにこれは「生徒のため」であり、生徒を守ることを目的とした校則かもしれません。しかし、こういった一見無難なルールでもつらいと思う人がいるのも現状です。実際、私は中学生のときに身長が一気に伸び、スカートの長さが「短すぎる」と言われたことがあります。このときすでに卒業も近くスカートを買い直すことは求められなかったものの、その後も何度か指摘されることがあり、必要以上に周りの目を気にしていた時期がありました。

なぜ?ブラック校則

しかし、学校側も生徒を傷つけようとして校則を定めたわけではないとは思います。では、一部の校則がなぜ「ブラック」と言われてしまうのでしょうか。

これには 学校や地域と、生徒自身の価値観の差が大きいことが理由の一つとして挙げられる と思います。特に、髪を染めている人やパーマをかけている人に対する認識は世代間でかなり違うと感じます。例えば、私が今通っている高校は比較的校則が緩く、髪を染めたりネイルをしたりすることも可能です。そして、このことを他校の友達に話すと「いいな」と羨ましがられることも多いのです。また同級生には髪を染めることなどについて憧れや大人っぽさなどのポジティブなイメージを持つ人が多い印象を持つ人も多くいます。しかし、実際に髪を染めた友人の中には、周囲からの冷たい視線を感じるという人もいるそうです。私も親戚に学校の話をしたところ、一部からは「ヤクザのイメージが強い。危ない目に会うかもしれないから、あなたにはできれば髪を染めないでほしい」と言われたことがあります。さらに、校則を緩めることで校内が荒れてしまうのではないか、という学校側の懸念もあると思います。こうした地域の人による反対や偏見が根強く、先生をはじめとするルールを決める側の価値観も変わりにくい中で、先生達による新たな校則の改正が行われることは少ないと考えられます。

生徒による、生徒のための校則

だからこそ、 生徒が主体となって今までの価値観を変えていく必要がある のではないでしょうか。日常を束縛するルールが無くても節度を守って行動できることを示すことができれば、学校や地域を初めとする周囲の人々の考えも変わってくるかもしれません。

このためにも、まず 生徒達がより声を上げやすいような環境を作ることが必要 だと考えます。実際、栃木県のとある高校で生徒と教員がNPOや大学の研究者の支援を受けながら話し合いの場を作った中で、制服の有無についての話が進んだり、自動販売機を巡る使用制限が緩和されたりするなどの変化があったそうです。こうした小さな話し合いの積み重ねによってこそ、今ある「ブラック校則」の現状は変えらえるはずです。

最後に

ここまで読んでくださった方の中には、理想論を語り過ぎているのではないかと思う人もいるかもしれません。しかし、校則を巡る議論を机上の空論のまま終わらせてはいけない理由は十分すぎるほどあります。

まず、校則といった「学校の決まりなどをめぐる問題など」が、何らかの理由となって不登校になった児童・生徒は、2019年度は小学生で1279人、中学生で3153人、高校生は1140人と、合わせて5572人に上っています。

また、行き過ぎた校則は時に人権までをも侵害してしまうこともありえます。例えば、日本の中高生の髪は黒でストレートであるはずだという前提のもとに校則を制定してしまうと、「みんな同じ色でないといけない」という風潮ができてしまい、そこに当てはまらない人への差別や排除の空気を作り上げてしまう可能性が出てきます。

法律が誰かを守るために存在するのと同じように、 校則も生徒を抑圧するものではなく、その人の持つ権利を守る ためのものになることを願いたいです。